須賀川絵のぼりは、今からおよそ230年前、時の白河藩主松平定信公のお抱え絵師として有名な銅版画家亜欧堂田善(1748年生まれ)が、和紙や布地に鍾軌を描き、端午の節句に男子の成長を祝って、庭先に立てたのが始まりです。
 絵のぼりは、田善から弟子の田騏へ、そして田騏の弟子の初代大野松岳(善吉)へと継承され、天保・慶應時代には近郷にその名が知られるようになり、吉野屋の絵のぼりが町の名物となりました。
 その後、二代目治兵衛、三代目一峰(吉次郎)、四代目忠助と代々続きましたが、昭和36年頃より、関東地方の型刷りのぼりが出回り、当時、市内に七軒あった絵のぼり制作者も次々と転業し、吉野屋ただ一軒となってしまいました。

 そこで、五代目青峰(恒雄)は、色やデザインに近代感覚を盛り込んだ室内用(掛け軸型)絵のぼりを開発し、数々の表彰を浴することが出来ました。
 現在は、六代目青峯(修司)が、手描き染めの伝統を受け継ぎながら端午の節句ばかりでなく、記念品や室内装飾として用いられる額や室内用絵のぼりの開発に努めています。

○ 伝統的工芸品産業功労賞……昭和59年11月21日

○ 須賀川市無形文化財指定……平成 4年 2月28日 

○ 福島県伝統的工芸品指定……平成 9年 3月31日